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Episode 3-1

​逡巡

「私もともとミリシアの保有する惑星で育って、小さい頃にIMCに襲われて家族を全員殺されたの。……このワッペンは、その壊された私の故郷で拾ったもの」そう確かにサクラは言った。
俺がなんて返していいか分からず固まっていると、
「ごめんね。急に言われても困るよね。…………。全部話すよ。もう少し人の出入りがないところに行こう」
そう言ってサクラに腕を引かれまた入ることになった喫煙所。灰皿の上にはなかなかの量の吸殻が溜まっているが、ほぼ同じ銘柄だ。今日は喫煙所の出入りは少ないのだろうか。俺たちは隣同士になるように座る。サクラの手はかたく握られていて緊張がこちらにも伝わるようだ。そして大きく息を吐いてから話し始める。

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私は……。私は地球の東京の近く、埼玉で生まれた。決して裕福な家庭ではなかったから物心つく前にフロンティアへ移住することになって、実際埼玉がどんなところだったのかはアルバムでしか見たことはなかった。
そして私の家族はお父さん、お母さん、フロンティアに来てから産まれた妹だった。
お父さんは昔から剣道や弓道をやってて、5歳くらいになった頃から一緒に稽古に行ったり習わせてもらったりしてた。
そしてフロンティア戦争がより激化し出したある日……。私が12歳くらいの頃。IMCに襲撃された。平和に縋ってたんだろうね。いつか壊れるってわかってたのに。
私は家族が逃げようとしてるところ、お父さんに貰った大事な竹刀を置いてきた事に気付いて、まだ火の手も甘かったし私は武道場まで取りに行ったの。そして戻ったら……家を出てすぐのところで家族がIMCに捕まって殺されてるところを見ちゃった。お父さんはお母さんと妹を守ろうとして撃たれた。今でもよく覚えてるな…、妹……こゆきって言うんだけど、こゆきの上にお父さんが倒れ込んで、それでもうこゆきは大泣きで……。そのままお母さんとこゆきも殺されちゃった。その間私は何とか助かろうと家具の陰に隠れてた。今思えばここで一緒に死んじゃってた方が幸せだったのかもね。
IMC兵が去った後どんどん火の手も回ってきて家の中にはいられなかったから、私は家族の死体の中に潜り込んで隠れた。……血の匂いに吐きそうだった。……その時に拾ったのがわどくんのお父さんのワッペンだよ。

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想像以上の悲惨な内容に俺は言葉を失う。その様子を悟ってサクラは否定するように体の前で両手を振る。
「あ、違うの。だからIMCが憎いとかわどくんのお父さんが……とかじゃなくて。私は今生きるためにお金がいるからここにいるの。……IMCの人たちも、自分が生きるために殺してるから、その時どっちが生きたかだけなの。スパイしてます、とかそういうのじゃないんだよ」
純粋にここが私の居場所だと思ってるから。とサクラは再び肩を落とす。
「……私は生きていかなきゃいけない。たとえ自分の家族の仇だろうと。死ぬなら一緒に死んでくれなんて言う家族なんていない。そう思ってる。それにわどくんのお父さんがうちの家族に直接手を下したわけじゃないよ。私が見たのは女性だったから」
淡々とサクラは話す。しかし、その声は震えていて一言一言まるで命を削っているかのようだった。
俺も……ただこの時は何も言えなかった。
「ごめんね。本当はこのワッペンを渡すだけの予定だったのに、私の身の上話までしちゃって……わどくんがお父さんを探してるってありすちゃんに聞いてなにか手がかりになればいいなって」
そう言ってサクラは親父の名前が刺繍されたワッぺンを差し出す。恐る恐る受け取るとサクラはにこりと笑い、美しい黒髪を靡かせながら喫煙所を先に出た。
「……クソ…」
まただ。また俺の存在は仲間にとって不利益にしかならないのか。アシェルにとって大切なたった1人の同期のリンダも俺のせいで死んだ。サクラも、チーム内に家族の仇になったチームにうちの親父がいた、つまり俺は仇の仲間の息子だ……。
「……クソ!」
俺は懐から煙草の箱を取り出し、1本に火をつける。
「…………」
恐る恐るその煙草を咥えてゆっくり息を吸い込む。
「…………ッ!ゲホッ!ゲホッ……ぅ…」
やっぱり無理だ。いつまで経っても俺はこの煙草を吸えるようにはならない。かと言って初心者向けの煙草から始めて喫煙者になる気は無い。それこそ金が飛ぶ。
咳を落ち着かせて俺は左手の指に摘んだ煙草を見る。親父のよく吸っていた銘柄。とてもじゃないがタールの含有量が多い銘柄で煙草を吸わない俺に向いたものとは言えない。しかしこの煙草で噎せるのは1回目じゃない。もう何回も何回も、何かに躓いた時に吸おうとする。この煙の匂いだけがもう俺と親父の繋がりだ。
俺は右腕の包帯を乱雑に解いて床に叩きつける。この包帯の下は大抵の奴は戦場で負った傷だと思ってる。しかしその下に現れるのはいつも点々とした火傷の痕だ。
「…………」
震える左手で右腕に煙草を押し付ける。針で刺されたような鋭い刺激が走り、反射で右腕を引きそうになるが何とか押さえつける。この焦げる匂いにも慣れてしまった。俺は弱い人間だ。つい何も考えずに口走っては、後で後悔する。その時に心を落ち着かせる方法がこれだ。煙草が吸えない分だけ、これだけが俺を慰めてくれる。
皮膚に押し付けたせいで火が消えたのを確認すると、まだ長い煙草を灰皿に放り込む。前の人が吸ったであろう数本の白い煙草の中に黒い煙草が1本だけ混ざる。俺はそそくさと包帯を巻き直して喫煙所から顔を出し、もうサクラが居ないことを確認して自室に向かった。
「…………?」
背後に一瞬人の気配を感じて振り返るが、誰も居ない。自傷行為を見られたか、と一瞬焦りを感じるが、プレデターズには顔と名前くらいしか覚えてないようなやつもたくさんいる。それに俺の知り合いが目撃していたならそんな現場を見て黙ってる奴はいないだろう。特にエドみたいな正義感の強いやつは。それに俺以外にも戦争によって精神を病むやつなんて5万といる。気にするだけ無駄だ。正面に向き直り、さっさと歩を進める。
すると、少し進んだところでアシェルとばったり出会い、思わず早足になっていた俺はぶつかりそうになる。
「おっと、テディ急ぎ?さっきの連絡まだ見てない?」
「さっきの連絡?」
メール見てみて、とアシェルが俺のポケットを指さす。連絡用端末。古い時代のものでいえば携帯電話のようなものでヘルメット無線やHUDがある俺たちパイロットには必要ないがそれだけでは連絡の取れない民間人との連絡に使う。ニュースアプリなども存在していてHUDでそういう情報を受け取るよりこっちで見た方が視界の妨げにならなくてアナログチックだが便利なところはある。
メッセージを開くと俺たちの仲間(エド、サクラ、アリス、リーリヤ、アシェル)のグループに数件通知が溜まっていた。ちなみにまだリンダのアカウントもグループ内には存在している。
「あぁ…仕事?普通に無線で教えてくれれば良かったのに……」
「いや〜、実はさくらがテディのことを引っ張って喫煙所に入っていくのが見えてね。2人とも吸わないからなんか取り込んでたんでしょ?邪魔するのは悪いと思って終わってから見てくれればいいや〜って。ブリスクが暇なら稼いでこいって回してくれた仕事だからそんなに緊急性のあるものでもないしね」
内容を確認するとまた開発の際に邪魔する者がいれば追い返せとの事だった。それで相手がどうやらそれなりに街として成立している区域で、どうやら何度かミリシア側の傭兵をつけているらしい。その文章の中でふと気になる単語を見つける。
「は?依頼主、Hammondなの?」
「その中でもまた色々あるうちの一つだけどね。規模でいえばエドの家の会社と同じくらい。ほら、出す金はあるし、少なからずIMC側に犠牲者が出ないような追い剥ぎでもないから。IMCにべったりなうちからならまず断らないし割と手段選ばないみたいなとこあるから捨て駒としては都合いいでしょ」
時たま笑顔で自虐ネタを発するアシェルにゾッとする。
「俺はみんなの実力も評価してるし断る理由ないしね。Hammondからのお小遣いとなるとでかいぞ〜焼肉が毎週行けちゃうかも!」
「そういうのを無駄遣いっていうんだぞ……」
俺も人のこと言えないけど。
「俺もこのとおりほとんど支障なく動けるようになったしね。まあまだ壁走ったりぴょんぴょん飛んだりは無理だから今日は俺が上からオペレーターしてやるよ。ブリスクも忙しいらしいしね。俺も『タイタンフォールスタンバーイ!』って言ってみたかったし、win-winって事で!」
1人で盛り上がっているアシェルに苦笑いで返す。サクラとあんな話をしたばかりなのに俺もそうニコニコと愛想を振りまけるほどフレキシブルではない。
「……さくらとなにかあった?俺でよかったらリーダーとして話聞くけど?……今は臨時でアリスに任せちゃってるけど」
一瞬話そうか迷ったが、他人が勝手に人の過去を話すのはどうかと思い、「俺から話していい事じゃない。サクラに聞いてくれ」と言っておく。まあアシェルも腑に落ちないようで首を傾げつつ「わかった」と言ってくれた。
「じゃあ、出発はいつ」
「3日後かな」
3日か……タイタンの整備やら何やら済ませていたらあっという間に過ぎてしまう。それに今回はクライアントがクライアントだ。何かあってもスマンじゃ済まされない。まず何の準備からしておこうか……と腕を組み悩んでいるとアシェルが俺の肩にポンと腕を置き、
「とりあえずテディのノーススターと話してきたら?俺に言えない話も彼女になら出来るでしょ。秘密はまず絶対に守ってくれるし」
そう言って軽く手を振りアシェルは廊下の角の向こうへと消えていった。


基本的に点検程度の整備はマーヴィンが行うため、格納庫に人が出入りしていることは滅多にない。そのため今回も俺が扉を開けてもほぼ暗闇でマーヴィンが整備の際に出す火花が時折格納庫内を明るく照らす。その時に壁に映る巨大な影は実物の2倍ほど大きく、子供の頃に見ていたら間違いなく腰を抜かしただろう。
「ポラリス」
そう声をかけるとカメラアイがこちらを向き青白い光が点る。
「おはよう。……って言っても寝てたって言うのか?」
『……視覚システム、起動。こんにちは、ボールドウィン。タイタンに睡眠は不要です。バッテリーの使用を79%抑えるため可能な限り昨日に制限を……』
「根本的にはそりゃ違うけど体力使わないように休めとくのは睡眠だろ」
長くなりそうだったので適当に水をさす。
「乗せてよ。ここ寒いから」
腕を上げて人差し指をたてる。悪気はなかったのだが、変な覚え方をさせてしまった。これは犬のしつけのハンドサイン“お座り”だ。
『了解しました、搭乗を』
ハッチが開き、ピザソースの匂いが香る。なんか消臭剤とか買わないと匂いがついちゃったな。
「お前の匂い、腹が減る」
『貴方がマーキングしたのですよ。ボールドウィン』
手のひらに乗せられコックピットの座席に座る。隙間には食べかけのポテチの袋が詰められている。ありとあらゆるボタンにはスナック菓子の油がついており、触るとぬるりと滑る。
『……ニューラルリンク接続。平常時より脈に乱れが生じています。……何かありましたか?』
「……ログにして送るから、あんまり言葉にしたくない。今度こそ不整脈になる」
サクラから聞いた話をそっくりそのままポラリスに転送する。
『香椎がこれで話を切っている以上、特に蒸し返しもしなければいいのではないでしょうか。香椎はボールドウィンにワッペンを渡す動機として過去を語ったように……』
「違うんだ、サクラとどう顔合わせたらいいか困ってるんじゃない。……俺は親父みたいなパイロットになりたかった。強い、流石だっていつも称賛されてて…。英雄だと思ってた。でも実際俺も親父も弱い者イジメしてるだけだった」
話して楽になるつもりが、どんどん胸が熱くなっていく。
「金のために殺していい人間がいるか?自己満足のために殺していい人間がいるか?アシェルが怪我を負ったあの日だって俺はただ居場所を守りたかっただけの人間をたくさん殺した、親父の一行もただ家族と暮らしたかっただけのサクラの家族を殺した。なあこれって間違っ…」
『ここまで戦争が激化してしまった以上、和解という解決法は我々には存在しません。香椎の言う通り、生きたければそれを妨げる者を排除するしか……』
「それでも……!」
そこまで熱くなったところで何もまとまらずにただ否定が怖くて反論がしたいだけだということに気づいた。ニューラルリンクで繋がっているためポラリスにもそれは伝わっているはずで、俺が黙ると彼女も黙る。
『貴方の父親は弱いものいじめをしているのでは無いですよ。生きるために強くなりました。生きるか死ぬかのどちらかしかない。今は』
静寂の中機械的な声だけがこだまする。俺も今までに何人かこの手で殺してきた。それがどこの誰かも知らない。でもその知らない先で俺は誰かの仇になってるのかもしれない。考えれば考えるほど途方もなくて、気付いたら眠りに落ちていた。

「起きてー!起きてください!せんぱい!」
耳元で大爆音で女の声が爆発する。何かと思って飛び起きると、コックピットの端に足をかけ俺の耳を引っ張ったままのリーリヤがいた。
「いつまで寝てやがるんですか。探しても見当たらないし、さくらせんぱいにどこに居そうか聞いたらさっきアシェルせんぱいとなんか話しててアシェルせんぱいが提案するならここじゃないかって……わらしべ長者でしたよ!!」
耳元でなくても十分声がでかい。よそのタイタンの整備に当たっていたマーヴィンが一瞬振り返る。ついでに起き上がって下を見ると俯いたままのさくらが立っていた。
「……さくらせんぱいもずっとあんな調子なんですよ。なんかテディせんぱいに余計なこと言っちゃったかもって……何があったんです?」
リーリヤが俺たちの顔を交互に見て問うがどちらも何も言わない。
「もう、別になんでも構いませんけど、そんなに落ち込む事ならまたみんな誘って焼肉行きましょう!お互い酔えたら腹も割って話せるでしょうし、仕事の前の士気上げにもうってつけです。拒否権はないですからね」
とリーリヤはコックピットから飛び降り、サクラの背中を押しながら部屋から出ようとし、一瞬振り返って
「テディせんぱいもさくらせんぱいも、嫌なこと全部吹き飛ぶまで私がお酒飲ませますから」
そう言い放ち引き止める間もなく出ていく。
「ちょ、ま、お前サクラに酒は……」
ドアが閉まり、再び沈黙が訪れる。まずいかもしれない。だってサクラは──


「な、なんで酔わないんですかぁ…!?」
とんっっっっでもないワクだからだ。もはや枠すらない。無だ。何も無い宇宙にひたすら酒を注ぎ込んでるようなもの。そして一方俺は……。
「ゔ……マジで無理……吐く……」
めっぽう酒に弱い。今はまだ3杯目だがなんかもう既に胃が気持ち悪くて限界だ。机に突っ伏して死んでいるところアシェルに背中をさすられている。
「そんでもってテディせんぱいはなんでもう既に腹を割るどころか腹の中身が出そうになってるんですか!?」
焼肉兼飲み会計画者のリーリヤは一応21歳で飲酒年齢を超えているが今日は話を聞くために素面らしい(あとこのメンバーシラフが1人いないとほぼ波乱)。
「まぁまぁ……いつもこんな感じだから。さくらは無限に入るわテディは一番最初に死ぬわ……いつも通りだよね?」
「え?あぁ……」
アシェルに急に話を振られたエドは若干動揺しつつ肉をつまんでいる。もう2回目の焼肉で慣れたらしい。大抵エドとアシェルとアリス(飲まない)が一般的な飲酒量で飯を最後まで楽しめる組だ。
「リーリヤはどうなんだ。酒は結構いける方なのか?」
さらに話がリーリヤの方へ飛びエドと視線があったリーリヤの頬が赤く染まる。
「え、わ、私ですか!?一応ロシア人の家庭ですし…、割と日常的に飲む機会はあるけど特別強いって訳でもないですね」
「そうか。じゃあやっぱりテディが弱すぎるだけだな」
珍しくエドが声を上げて笑う。こいつ一応酒が入るとちゃんと笑うのか。バカにされていることはこの上なく不快だが今はそんな事にも突っ込んでいられない。
「でもさくらさぁ、それ以上飲むならさすがに自己負担でお願いしますよ?」
アシェルもそろそろ満充電のようで中身の入ったグラスをカラカラ鳴らす。
「あ〜……じゃあこの辺でやめとこっかな!」
サクラは残りを一気にあおる。
「それで……結局何があったんですか?さくらせんぱいとテディせんぱいが仲違いなんて珍しい」
しかしサクラは小首を傾げ、
「ん?仲違い……?して、ないよね?」
「…してないな」
それはそう、ただ俺がどう接していいか分からなくなってるだけだ。サクラは今まで通り普通にしようとしてくれているのに。
「ただちょっとわどくんの身辺に関して話してて、ただ私も追い込むつもりはなかったんだけどわどくんが私のこと考えてくれてただけだね。本当に気にしなくてもいいんだよ」
サクラはそう言ってリーリヤに向き直る。
「それはそうとしてこうしてみんなとお酒飲めたからりっちゃんにも誘って貰えて嬉しかったよ。私はこうしてなかなか酔わないし、るどくんもアシェルも限界まで飲むことはないから。りっちゃんも一緒にお酒飲もう。そうだなぁ……」
サクラはいまだにアシェルに寄りかかって死にかけている俺に視線を移す。そしてその次にアリスに。
「も〜…いつもその役はさくらでしょ?今回は色々あったからしょうがないけど」
アリスが俺の横に屈んで肩に腕を回させる。いつもならサクラの細い肩だが、今日はか、硬い……。
「そんじゃ、ちょっとトイレ連れて行ってきますんで……」
易々俺をアリスに引き渡したアシェルが「がんばれ」と小声で手を振る。


「……んで、すっきりした?」
機械の体であれど一応女の子なので扉の向こうからアリスが問う。ちなみにさくらは人がいなけりゃ普通に入ってくる。
「あー…、うん、もう大丈夫……」
トイレから出ようとすると、逆に外で待っていたアリスに押し込められる。
「なんだよ、結局入るじゃん」
「いや、吐いてる人をそんなに見る趣味がないだけだから。それにちょっと」
「それ聞いたらサクラが怒るぞ…」
さくらわざわざ男子トイレついて行くの…と一瞬動揺気味に身を引くアリス。しかし押し返そうとしても全く動いてくれる様子はなく、
「もしかして私が?私がテディをFDに連れていったことになんか関係ある?」
壁ドンのような状況になる。俺より小柄なアリスだがやはり全く抵抗する隙すら見せてくれない。
「……初めてさくらと同じ部屋になった時から私はあの子が元々IMC側の人間じゃなくてIMCに家庭を壊されたにもかかわらず、生きるためにこっちの手を取ったってことは知ってる」
アリスは俺を覗き込むように一層こちらに体を寄せる。そしてさらに下がろうとしたがもう俺と壁の間に隙間はなく後頭部をごつんとぶつける。
「…私のせいかな。私が生きてるかも分からないのにテディに希望持たせて、あの子もテディに協力するために自分の過去をまた掘り返して、それでテディも傷ついて……。私が2人の仲を引っ掻き回してるのかな」
「違う」
アリスが肩を落とした瞬間を見計らい、今度はこちらがアリスを反対の壁に押し付け返す。
「そこまで知ってるってことはサクラが俺にこのことを打ち明けたのは知ってんだよね」
俺はポケットから親父のワッペンを出す。
「……そうだね。少しでも力になれるならテディに渡すって……FDに行く前の日に教えてくれた」
アリスは顔を伏せる。
「違うんだよ。俺が勝手に悩んでるだけだ……。なんでみんな俺を恨まないんだって。俺ってつまりは直接じゃなくてもサクラの家族を殺した一行の息子なんだろ?なんであんなに優しく接してくれるのか分からないし、俺の勝手のせいでアシェルの大事なたった1人の同期も死んだ。……なんで俺は…こんなに優しくしてもらえるのかって……。そしたら、俺のせいで人が死んだり、普段俺が殺してる人にも家族がいると思うと人を殺すのが怖くなって……」
次の瞬間、視界がぶれたと思えばトイレの床に叩きつけられていた。俺の上でアリスが腕を上げているのを見て、ようやく殴られたのだと気付いた。
「アリス……」
俺はトイレの床に背をつけたままアリスを見上げる。
「やり返したいと思った?」
アリスはただ俺から視線を逸らさずそういった。
「……お前じゃなかったら、やり返してた」
起き上がろうとすると、アリスがこちらに手を差し出す。
「テディ、あんたはアシェルの優しさも、さくらの優しさも踏み躙ってる。みんな、テディの事が大事だから何も言わないんだよ。さっきも私じゃなかったらテディはやり返してた」
アリスの手を取ると小柄なボディとは思えない力で引き上げられる。
「誰を守って誰を殺すか、その判断が出来ないとテディを戦場には出せない。その甘さが味方の死も、自分の死も招く。もう誰も死なせたくないなら迷わないで」
そう残してアリスは先にトイレを出る。しかし俺はなかなかトイレを出ることができなかった。


そして少し時間を開けてから戻るとなんか……とんでもないことになっていた。
「せんぱぁい!聞いてくださいよぉ〜!」
酒のグラスを握り締めたリーリヤが右肩にサクラ、左肩にアリスを抱き抱えてわんわん泣いていた。
「助けてわどくん〜!りっちゃんったらめちゃくちゃ泣き上戸なの〜!」
サクラが助けを求めるもその体はリーリヤにガッチリホールドされており、とても離す気配がない。一方エドとアシェルは何とか巻き込まれないようにリーリヤの腕の届かない位置まで避難している。
「……先輩なんだから酔いが冷めるまで話聞いてやったら?」
俺もある程度リーリヤから距離が空いた位置に座る。
「仕事、明日なのに長い夜になりそうだね……」
男性陣にしか聞こえないようにぽつりとアシェルが呟く。


あれから少し休んで随分心が軽くなった気がした。
誰のせいでもない、強いて言うならどちらが生きるか、運命が決めただけ。迷っても過去は変わらない。そう思うと目覚めもかなり良く、起きてもまだエドは寝ているようだった。
(そうだ、なんかいたずらしてやろうかな…)
こういう顔のいいすかした野郎には効きそうな……ちょっと抓ってキスマーク風の痕でもつけてやろうリーリヤなんかが見たらそれはもう騒がれて恥をかくのは免れない……と、
「うわ、何やってんだ」
エドの声が“背後から”聞こえた。慌てて振り返るとやはりエドが立っていて……、もう一度ベッドに転がっていた方に向き直るとそのエドは光の粒子になって消えた。
「最近ずっとお前起きるまで魘されてた。今日はぐっすり寝てるみたいだったからたまには気持ちよく起きられた日に一緒にコーヒーでも飲めたらと思って、起きて俺が居ないより居た方が何となく安心するだろうと思って……ホロを置いといたんだ。なんか企んでたみたいだけどな」
エドはコーヒーが2杯乗ったトレイをテーブルに置く。
「う、うるさいな。それにしても……俺そんな魘されてた?」
エドはそのまま椅子を引いて座り、もうひとつの椅子を指さし「まぁ座れよ」と言う。
「別に嫌な夢を見てたわけじゃないのか。ならいいけど、汗をかいてたからな。こっちはいつか風邪引かないかって心配してたんだ」
俺が椅子に座るとエドはコーヒーを手に取り水面に息を吹きかける。湯気がふわっと靡き、こいつは本当に何をしても絵になる。
「……こんな風に2人きりでゆっくり話すのは初めてだな」
いつぞやのあの日を思い出す。リンダが死んで次の朝、あの時もこうしてエドと朝のコーヒーを飲む機会はあったが俺はどうもあんな事があって一緒に飲む気にはならなかった。今やっとこうしてそれが叶っている。
「緊張するか?デカいところから依頼が来て」
今日の仕事の話だろう。エドが手でカップを回すとゆらりゆらりと水面が反射する。
「そりゃ……Hammondといえば武器やタイタンを製造する俺たちとは切れない存在……それが失敗して仲でも悪くなったらと思うと……想像しただけで震えるんだけど」
だろうな。とエドはコーヒーに口をつける。
「……ちなみに、俺は1回経験済みだ」
「え?」
「……俺が親の会社のセキュリティをやってたのは知ってるな。……それで、俺は社長の息子だからそのセキュリティ達の総指揮をやってた。そん時に1回受けてるんだ。Hammondの依頼」
俺は思わずコーヒーを飲もうとしていた手を止める。
「俺が普段してた仕事は本当にただの警備と変わらなかったんだ。銃を撃ってたのなんか趣味で射撃場くらいだ。その時Hammondには犯罪予告が入っててな。守ればうちの会社の株も上がると思ってたんだよ。でも結果は失敗だった。失敗というか、大半の敵は捕まえることができた。でも1人だけ逃げようとしてて、殺せと言われたが俺は撃てなかった。今まで銃を人に向けたことは無かったからな。所詮脅しの道具としか、思ってなかった」
エドは一瞬続きを話すべきかと迷ったようだが、ひと口コーヒーを飲むとそのまま話を続けた。
「結果的に上がるはずのうちの会社の評価は落ちた。それもあれだけでかい会社からそう思われた。俺はすぐにでも家を追い出されたな。一応嫌だとは言ったんだが……金を持たされて追い出された。その金、どうしたか知ってるか?」
「まさか……」
「お前の慰謝料の肩代わりだよ」
クルクルとコーヒーを回していた手を止めてエドはテーブルの上にカップを戻す。
「と言っても、ちゃんと遅れはせど返してもらってるから実際に元に戻る金なんだ。気にするな」
そして一気に最後まで飲みきると
「……来い」
急にエドが腕を広げ椅子の背もたれにもたれ掛かる。
「は?」
なんだこれ。なんかまるで、母親みたいに。
「なんだ、来ないならな」
嫌な予感がして逃げようとするが、間に合わず抱きしめられる。
「な、なんなんだよお前!」
「暴れるな。……こうすると安心するだろ」
……俺は暴れるのをやめて素直に抱擁を受け入れる。
「…絶対サクラとアリスに見られたらクソ騒がれる」
文句を言いつつも久しぶりに人の体温を感じた。元嫁と離婚する前ぶりだろうか。あれ以来女に懲りてそういったことはしてこなかった。その考えを読んだようにエドは口を開く。
「俺は恋愛なんてしたことないからな。抱き合う相手はいつも家族だ。それに……うちの国では挨拶代わりみたいなものだ」
エドが離れる。久しぶりに触れた人肌に若干惜しさを感じた。
「それと約束してくれ。またこうして友人として話すために絶対に死ぬな、エドワード」
久しぶりにその名を呼ばれる。多分これも元嫁に呼ばれて以来だ。エドと名前が被っているとわかった瞬間、すぐに俺のあだ名はテディになった。
「分かってんだよなぁ。お前こそうっかり死ぬなよ」
口端を上げて笑いながらエドのつま先を自分のつま先でコツンと蹴る。それに対しエドもこちらを見て口の端を上げた。
「さてそろそろ飯を食わないと昼までもたないぞ」
エドが椅子の背もたれから上着を取って言った。気付けばいつも起きる時間をとっくに回っており、いつもならそろそろ朝ご飯を食べる時間だった。そそくさと支度をして部屋を出ようとするとばったりリーリヤと会った。
「あっ、せんぱいたちおはようございます……すみません昨日のことほとんど覚えてなくて……さくらせんぱいが激強だった事しか……」
いつもより髪が乱れておりこめかみをおさえている。
「毎回こうなんですよ……何喋ったかも覚えてないけど心はスッキリするのでお酒のことはキライにはなれないんですけど……」
「それで体がスッキリしないんじゃ意味無いだろ……」
こいつ今日生死を分けた戦いをしに行くのに大丈夫なのか。自分の精神状態よりこいつの体調面が心配になってくる。
「でもせんぱいたち見てなんか元気が出てきました。エドせんぱいはかっこいいし、テディせんぱいも昨日よりかなり表情が明るく見えます」
リーリヤにそう言われ俺は窓に写る自分の顔を見る。続いてエドもリーリヤも窓を見るのだが、やっとリーリヤは自分の髪の乱れ加減に気付いたようで恥ずかしそうに手ぐしを通す。
「ていうかエドだけかっこいいってなんだよ」
俺も窓を見て軽く跳ねた前髪を直すとリーリヤは
「テディせんぱいもかっこいいですよ」と笑ってそそくさと駆け足で去ってしまった。
「良かったな。かっこいいって言ってもらえて。じゃあ期待に応えないとな」
エドに俺の脇腹をむに、と引っ張られる。
「冗談でも次やったら許さんからな」
気にしてるのに。エドの手を軽く叩き落とす。すると反対の脇腹を誰かに摘まれた。振り返るとニコニコ満面の笑みで人の脇腹を摘むアシェルがいた。
「元気そうでよかった。ケンカはダメだよ。これから仕事なのにさ」
さすがに先輩を相手に手を叩き落とすことは出来ず、口を尖らせて睨みつける。
「せっかくかっこいいって言って貰えたんだからそんな睨むのは良くないよ。シワ増えちゃうよ」とアシェルは俺の額にデコピンをかます。
「痛え!くそ、先輩だからってなんでもやっていいわけじゃないぞ……」
「はは、ごめんごめん」
そう言ってやっと俺の脇腹から手を離した。
「じゃあ早くテディとエドはご飯食べなよ。いつ最後のご飯になっちゃうか分からないんだからお腹いっぱい食べておかないと」
アシェルは俺とエドの頭をわしゃわしゃと撫でてから軽く手を振って先を歩いていく。エドが小声で「子供じゃないのに……」と呟いてくしゃくしゃにされた髪を直す。
さて、そろそろ朝ご飯に向かおうかとすると今度は何者かが腰にぶつかってきた。振り返るとアリスが「おはよ!」と元気に手を挙げ、後ろからゆっくりさくらが歩いてきた。サクラは昨日かなり酒を飲んだはずなのにいつもと変わらない様子だ。
「ありすちゃん、そんなに勢いよく抱きついてわどくんが腰を痛めたらどうするの?」
「……?あれ?なんかテディ、エドの匂いしない?」
なんだこいつ、匂いって分かるのか?
「えっ……じゃあそういうことなの?」
「そういうことなの!?」
アリスとサクラが勝手に2人で騒ぎ始める。さっきこいつとハグなんかしたから……!
「ちが、違うんだって!」必死に弁明しようとすると横からエドが
「せっかく仕事の前だからお前たちもハグしとくか?別に疚しい意味じゃなくて、ハグってストレスを軽減する効果があるらしいんだ。敵でも人を殺すのは精神的にくるからな。テディが最近参ってたみたいなんでさっきちょっと……」
「だああああ!!余計なことを言うな!」
あまりにも正直に喋るものだから慌ててエドの口を塞ぐ。
「やっぱりこの感じ天然スパダリ×クソガキね……」
サクラが顎に手を当て必死に何か間違った脳内パズルを完成させようとしている。
「こらこらこらこら!飛躍させすぎ!」
エドが俺の手を剥いでも不思議そうにこのやり取りを見ている。俺に味方はいないのか……。
「なんかみんな元気そうでいいな」とエドはついに笑い出す始末。もういいや……。俺とエドは両隣にこの腐女子たちを抱えながら飯に向かった。

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艇からアシェルが足を投げ出しぶらぶらさせながらスコープを覗いている。覗いているスコープ自体はエドのダブルテイクで、自身のモザンビークはホルスターに収めたままだ。
「歩兵戦が始まった。相手が出てきたらこっちがカウンターとして詰めるよ。なるべく上空から相手の装甲を削ってから出よう。」
今回は不意打ちではなく一応宣戦布告を行った上での戦いだった。相手が傭兵を持っているか分からない以上下手に出られないからだ。
「ありがとう、返すよ。もう少し様子を見よう」
アシェルがエドに武器を返す。アシェル以外の皆は既にヘルメットを被った状態で待機しており、艇が風に煽られて少し揺れる度にカランとエドのカラビナが音を立てる。
「いつまでこの状態なんすかね……」
俺はといえばいつも通り高すぎて死んでいる。アリスとサクラを両隣にして座っているが風で揺れる度に艇がバランスを崩すのではないかと怖くて顔も上げられない。
「本当に不思議。ポラリスちゃんに乗ってる時も緊急脱出しても怖がらないのに」
「戦いながら高いとこ怖いとか考えてられるかよ……。そんな事より死ぬ方が怖い。気にしてらんないよ…」
ついでに酸素が薄いところも苦手だ。こうして呼吸が乱れてるのにさらに息がしづらい。
「大丈夫だよ…ジャンプキットもついてるんだし……」
サクラに手を握られながら早く早くと出撃のときを待っていると、アシェルが立ち上がった。
「……来た。敵のパイロットだ。こっちのスペクターたちのカウンターにて出てきたな。タイタンの準備もして、そろそろ出るよ。準備はいいね?」
窓の外の代わりにエド、リーリヤ、アリス、サクラの顔を見る。最後にアシェルを見ると長い髪を靡かせながら小さく頷き、降下口を開くよう操縦士に合図を送った。皆もそれぞれ仲間の顔を一瞥してから、まだ完治の1歩手前のアシェルに変わってリーダーを務めるアリスが皆の間を駆け、1番最初に飛び降りる。遊び半分に足場を蹴る瞬間にバク宙を披露して降りていく。
「よくやるよ……」
続いてエド、リーリヤが降りていき、その間に俺はきちんと締めたかもう一度ハーネスを確認する。
「わどくん、行くよ」
もう一度前を見るとサクラが手を差し出して待っており、その手を取るとサクラは微笑み、駆け出す。半ば手を引っ張られるようについて行き飛び降りるともうすぐ正午を回るであろう太陽が空の真ん中にさんさんと輝いていた。
「えへへ、空も悪くないでしょ?」
この辺りは星が多く、昼間でも空には大きな惑星が何個か浮いている。確かに初めて見たが、言葉に表せないほど綺麗だった。
…ん?でもこれ、下を見ないでどうやって降り……。
「はい!じゃあ暴れないでね!お姫様抱っこのお時間です!」
突然腰に腕を回され、サクラのジャンプキットの技術もあってか簡単にお姫様抱っこのような体勢になる。
「え、ちょ……!」
突っ込む暇もなく、そのままふわっと地面に着地して地面に下ろされる。
「どうでした?ぷりんせす・てでぃ、楽しい空の旅は?」
「恥ずかしいわバカ!二度とやるか!!」
サクラはなおもにこにこ笑っているが冗談じゃない。さっさと武器を構えて仲間の背中を追った。

To be Continued ▹▸

逡巡: テキスト
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